唯円というお坊さまが歎異抄で伝えようとしていることは、次の4つです。これが全て、これ以上のことはありません。
一般に言う、善い行いとか悪い行いとかは、関係がありません。
「私」はどういう思いを抱いて生きていきますか? それだけのことです。
(1) 何もかも超越した力の存在を知りましょう。
・・・ 「宇宙空間、時間、そして今」がある不思議。「私」がここに存在している奇跡。
(2) その力(神様?あるいは仏様?)によって、既に「私」は救われています。
・・・ 「地獄に落ちる」なんてことは決してありません。天国に「私」の席は用意されています。
※ 信じられない? それならそれで仕方ありませんが ・・・ ───
(3) 「私はだめだな・・・」と思いつつ、生きていくことこそが、凡人の「私」の生きる道です。
・・・ 「私」は、修行して自分を立派な人間にできる聖人とは違い、ただの凡人です。
・・・ 凡人は自分の「だめさ」を自覚(=悪人)しつつ、 そんな自分と向き合って生きていけばよいのです。
(4) ただ一つ、行動すべきことは、「おまじない(念仏?)」を称(とな)えること。
・・・ 悔やんでも仕方がありません。それもまた、「私」の「自然な姿」なのですから。
・・・ 救われていることが感じられなくて、辛くなったときのおまじないは南無阿弥陀仏?
『こんな自分でいんですよね!?』、『これでいいのでしょ?!』
『今を、感謝しよう!』
「私」がしっくりして、力が湧いて来る「一言」を見つけ、つぶやいてみましょう。