◇ 小中学生のための『歎異抄』解説 ◇

    800年も前に生きた人たちが、真剣に心を見つめて、それを記録していました。
    『 「結果」の良し悪しなんて関係ありません! 重要なのは、いまこここの・・・「生き方」なのです 』
 

【まとめ】再度:歎異抄が伝える全てのこと

  唯円というお坊さまが歎異抄で伝えようとしていることは、次の4つです。これが全て、これ以上のことはありません。
  一般に言う、善い行いとか悪い行いとかは、関係がありません。

  「私」はどういう思いを抱いて生きていきますか? それだけのことです。

  (1) 何もかも超越した力の存在を知りましょう。
      ・・・ 「宇宙空間、時間、そして今」がある不思議。「私」がここに存在している奇跡。
  (2) その力(神様?あるいは仏様?)によって、既に「私」は救われています。
      ・・・ 「地獄に落ちる」なんてことは決してありません。天国に「私」の席は用意されています。
         ※ 信じられない? それならそれで仕方ありませんが  ・・・ ───
  (3) 「私はだめだな・・・」と思いつつ、生きていくことこそが、凡人の「私」の生きる道です。
      ・・・ 「私」は、修行して自分を立派な人間にできる聖人とは違い、ただの凡人です。
      ・・・ 凡人は自分の「だめさ」を自覚(=悪人)しつつ、 そんな自分と向き合って生きていけばよいのです。    
  (4) ただ一つ、行動すべきことは、「おまじない(念仏?)」を称(とな)えること。
      ・・・ 悔やんでも仕方がありません。それもまた、「私」の「自然な姿」なのですから。
      ・・・ 救われていることが感じられなくて、辛くなったときのおまじないは南無阿弥陀仏?
         『こんな自分でいんですよね!?』、『これでいいのでしょ?!』
        『今を、感謝しよう!』

          「私」がしっくりして、力が湧いて来る「一言」を見つけ、つぶやいてみましょう。

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【まとめ】神さま(仏さま)とは

(その1)
  何もない(空間も、時間も、もちろん光もあらゆる電磁波も、全ての法則もない)状態から、無限の時を経て、今、この宇宙空間、銀河系、太陽系、地球が存在し、そして「私」が存在しています。

  何もない状態から「私」が存在することになる確率は、論理的に説明しようとすれば、∞(無限大)分の1、つまり完全に「0(ゼロ)」です。

  確率ゼロのものが、どうして発生し、「私」がここにいることになったのでしょうか。 ・・・ 理解を超越しています。 ・・・ 世の中で「奇跡」と言われている現象は、どんなに不思議であっても確率ゼロではありません。 「私」が今ここに存在する理解不能に比べれば、いくらでも論理的説明ができるものです。
  この理解不能を実現している力は、「不思議」としか、ほかに言いようがありません。

(その2)
  自分の名前を、仮に「イツモヒトリ」ということにしましょう。
  今、「イツモヒトリ」の身体や脳の中から世界を覗きているが如くの五感と感情のパノラマが出現しています。「イツモヒトリ」と同じような身体や脳を持つ人が沢山いますが、それらの人の身体や脳の中から世界を覗いているが如くのパノラマは出現していません(その出現を認知できません)。
  前者を「自分」と言い、後者を「他人」と言います。

  物理科学ではこの「自分」と「他人」の差異を何が決定付けているのか説明不可能です。
  「自分」「他人」の差異は人によって区々。普遍性が無い。このような性質を科学的に特徴づける方法がないのです。
  もっとも身近な「自分」の存在が、説明不可能なのです。

  科学的、論理的に扱える事柄ってほんのわずかなのかも知れません。宇宙や宇宙の外は、論理もなにも成立しない、混沌とした、どろどろの世界なのではないでしょうか。
  人間の英知では計り知れないもの、これを何と理解すればいいのでしょうか。

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  我々人類の理解を超越している、この奇跡を起こした不思議な力。ここでは、「神さま(仏さま)の慈愛」などと表現しました。 あるいは「悪魔の誘い」と信じる人がいるかも知れません。 言い方が異なるだけで、実は同じことなのかも知れません。

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【まとめ】導き(運命)の分岐点

  この世の中は、不思議な力によって作り出される導き(運命)の流れ。 その流れには、幾つもの分岐点があります。

  「私」は、素直な気持ち、どちらの潮目に乗るべきか選択すればよいのです。
  「結果」を反省する必要はありません。 それも含めて全てが、導き(運命)としか言えないのですから。

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【参考】宮沢賢治 1933.9.22 37歳 永眠

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日二玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
自分ヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

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