自分自身の力で(煩悩や欲求を断ち切る鍛錬、修行して)善行を積み、苦悩から解き放たれようとすると、人の知恵をはるかに超えた仏さま(神さま)の慈愛を知ることが難しくなります。
人の知恵の小ささを知り、仏さま(神さま)の慈愛を感知できれば、真の救済に接することができます。仏さま(神さま)の救済とは、煩悩や欲求に振り回され、罪業(ざいごう)を背負って生きていると自覚することなのです。
つまり、「悪人という自覚」をもつことが「気づき」の原点なのです。
それゆえに、「善人でも往生するのですから、なおさらに悪人こそが往生するのです」と法然(親鸞の師)さまは言われたのです。