◇ 小中学生のための『歎異抄』解説 ◇

    800年も前に生きた人たちが、真剣に心を見つめて、それを記録していました。
    『 「結果」の良し悪しなんて関係ありません! 重要なのは、いまこここの・・・「生き方」なのです 』
 

【要旨】 唯円「悟ることより、煩悩とともに生きることの大切さ」

  釈迦のような超人的な人が、極めて厳しい修行の末に業を極めきった一部の人のみが「悟りを開く」ことが出来ます。

  悪人であれ善人であれ、「私」のような普通の人間が歩む道は、煩悩や欲求に振り回され、悩み苦しみながらも、仏さまの本願( 全ての人は生まれながらに救済されている )ということを思い出し、心に刻みつける努力をしながら生きていくことなのです。

  「私」のように、普通の人が通常の生活を過ごしていながら、「悟りを開く」という在り得ないことです。

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<解説> 「登頂登山」ではなく「トレッキング」のように生きよう

  凡人の「私」でも、「悟りを開いた聖人」になれたらいいな、と思います。
  しかしその「私」は、本願( 自らが宇宙の不思議に導かれた軌跡の存在であること )のことも忘れそうになり、煩悩と欲求に振り回され、不安と苦悩の中で苦しんでいます。

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  エベレスト山を征服するような、「超人的」な登山家がいます。釈迦のような偉大な人は、きつい修行を経て、未「悟り」エベレスト山頂を極めることができます。
  凡人の「私」は、そのエベレスト山頂に向かって、ゆっくり、マイペースで進んでいきましょう。

  寿命のある内には到底到達できないでしょうが、正しい方向さえ見失わなければ、好いのです。
  凡人の「私」は、エベレストの方向( 正しい方向 )を見定めて、ゆっくり(マイペース)で、毎日のトレッキングを楽しみながら生きていきましょう。
  天気の悪い厳しい日には、「正しい方向に歩いている( 本願を忘れていない )」こと思い起こし、「これでいいのだ!」と称えればいいのです。

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  • ◇ 小中学生のために『歎異抄』を解釈 ◇
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