◇ 小中学生のための『歎異抄』解説 ◇

    800年も前に生きた人たちが、真剣に心を見つめて、それを記録していました。
    『 「結果」の良し悪しなんて関係ありません! 重要なのは、いまこここの・・・「生き方」なのです 』
 

【要旨】 親鸞「仏教には二つの道が」

  仏教の世界では、「聖道門仏教」と呼ばれる学びと、「浄土門仏教」と呼ばれる、二つの道があります。

<聖道門仏教>
  厳しい修行を積んで、深く学ぶことで、煩悩や欲求(註)の誘惑に解き放たれた心で、ひたすら仏の導きにしたがって生きられるようになろう(悟りを得よう)というものです。これを「自力」による救済といいます。
  このようにして悟りを得た人たちを聖者(しょうじゃ)といいますが、私たちのような普通の人間にはできるものではありません。「自力」には限界があります。
  (註)煩悩 : 必要以上の過剰な欲望 )
     欲求 : 社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識

<浄土門仏教>
   私たちのような、普通の人間は、神さま(仏さま)の慈愛の真理と絶対があり、その真理と絶対が「私」の上にはたらいていることを感じ、これを信じるより他はありません。これを「他力」による救済といいます。

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<解説> 他力ということ

  「私」は、心豊かに充実の時を生きたい ・・・

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  この宇宙の奇跡と不思議と、なんにつけてもスグに心の中が不安いっぱいになってしまう「私」の存在を思うとき、神さま(仏さま)の慈愛に導かれていることを --- 少しなりとも --- 納得せざるを得ません。

  凡人の「私」には、百年かかるか、千年が必要なのかのか解りませんが・・・
  ・まず、何もかも超越した力の存在を知り、
  ・その力によって、既に「私」は全ての苦悩から救済されていることを理解し、
  ・「私」の、煩悩や欲求(註)が、これを心から「信じるきる」ことを妨げていることを自覚し、
   (註)煩悩( =必要以上の過剰な欲望 )
      欲求( =社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識 )
  ・おまじない(念仏)を称(とな)えながら、
     これも、在るがままの自分の姿、自然な姿なのだ、と、少しずつ理解を進めていく。
ことを、繰り返しながら生きていくしか、方法がありません。

  これこそが、「私」が毎日 生きていく目的なのであり、これこそが、本当に「自然なこと」なのです。

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