歎異抄の中では、
「悪人」とは、
煩悩や欲求に囚われている自分に気づいている人。そして、そのために本来の救済がすでに完了しているハズである、ということを信じきれない自分がいることに、気づいている人。
「善人」とは、
煩悩や欲求に囚われている自分に気づかないでいる人。
のことを言っています。
「私」は、今(今日、または昨日)まで、不安な気持ちでいっぱいで過ごしてきました。煩悩や欲求(註)の誘惑に振り回され、
・何もかも超越した力の存在を知り、
・その力によって、既に「私」は全ての苦悩から救済されていることを知り、
・「私」の煩悩や欲求が、これを「信じるきる」ことを妨げていることを自覚する
努力を怠ってきています。
(註)煩悩 : 必要以上の過剰な欲望
欲求 : 社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識
そのために、多くの人々に迷惑を掛け、不必要に、命あるもの、限りある資源を粗末にしてしまいました。
しかも、もっと悪いことに、心の奥では「私はそこそこの善人のなずだ」と信じています。自覚していない「私」は、性質(たち)がわるいのです。
「私」は、自分自身が「悪人」であることに気づかなければ、いつまでたっても、奇跡を演出している不思議の力の導きに出会うことができません。
コメント