(その1)
何もない(空間も、時間も、もちろん光もあらゆる電磁波も、全ての法則もない)状態から、無限の時を経て、今、この宇宙空間、銀河系、太陽系、地球が存在し、そして「私」が存在しています。
何もない状態から「私」が存在することになる確率は、論理的に説明しようとすれば、∞(無限大)分の1、つまり完全に「0(ゼロ)」です。
確率ゼロのものが、どうして発生し、「私」がここにいることになったのでしょうか。 ・・・ 理解を超越しています。 ・・・ 世の中で「奇跡」と言われている現象は、どんなに不思議であっても確率ゼロではありません。 「私」が今ここに存在する理解不能に比べれば、いくらでも論理的説明ができるものです。
この理解不能を実現している力は、「不思議」としか、ほかに言いようがありません。
(その2)
自分の名前を、仮に「イツモヒトリ」ということにしましょう。
今、「イツモヒトリ」の身体や脳の中から世界を覗きているが如くの五感と感情のパノラマが出現しています。「イツモヒトリ」と同じような身体や脳を持つ人が沢山いますが、それらの人の身体や脳の中から世界を覗いているが如くのパノラマは出現していません(その出現を認知できません)。
前者を「自分」と言い、後者を「他人」と言います。
物理科学ではこの「自分」と「他人」の差異を何が決定付けているのか説明不可能です。
「自分」「他人」の差異は人によって区々。普遍性が無い。このような性質を科学的に特徴づける方法がないのです。
もっとも身近な「自分」の存在が、説明不可能なのです。
科学的、論理的に扱える事柄ってほんのわずかなのかも知れません。宇宙や宇宙の外は、論理もなにも成立しない、混沌とした、どろどろの世界なのではないでしょうか。
人間の英知では計り知れないもの、これを何と理解すればいいのでしょうか。
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我々人類の理解を超越している、この奇跡を起こした不思議な力。ここでは、「神さま(仏さま)の慈愛」などと表現しました。 あるいは「悪魔の誘い」と信じる人がいるかも知れません。 言い方が異なるだけで、実は同じことなのかも知れません。
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