[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの視点(操縦席)は、今の今覚醒しています。
そして気が付きます。
「 ①(紛れもなく)ある 」と「 ②(図りしてない)混沌 」の間はなんだろうか。
今、ここにおいて ───
[ 読者 ]ロボットの身体の中から外の世界を覗き見ているような景色が現れている。
[ 読者 ]の認識装置が、神経という「 観測の窓 」を通して認識し、視点(操縦席)に映し出しているからだ。
身体の外からの刺激だけでなく体内で感じてる様々な五感の状況も神経という「 観測の窓 」を経由して認識装置に伝わり認識され、視点(操縦席)に映し出されている。── 腹が減ってるし、昨日作った脛の傷が痛いし。
思考と記憶とそれが作りだす感情という認識装置自体の活動も、認識装置内の神経「 観測の窓 」の働きでリアルタイムに自己認識し「 意識 」という姿で視点(操縦席)に映し出されている。── 昨日振られて悲しいし、今はどうやってあのこの気を引こうか悩んでいるし。
この「 観測の窓 」という神経を経由して映し出される映像の世界がある。
像のすべてが「 観測の窓 」を経由している限り、視点(操縦席)に映し出されているのは虚像なのだ、と突然いわれても、それを否定できる論理は見つけられません。
それは「 観測の窓 」が、物理的、化学的、電磁的エネルギーの信号の仲介だからです。
得体のしれない悪魔か神か、ふざけた野郎か、まじめな誰か、が ──
── 五感の虚像映画を映しだしているのだ、という疑いを完全に否定する論理が成立しないからです。
[ 読者 ]の認識装置は考えます ──
でも、いいではないか。
「 虚像 」だと考えたら、この宇宙を理解するための糸口が全て崩壊する! しかし、
何千年かの人類史上で「 それは真(=ある)だ 」と信じてきて不都合があっただろうか?
ないじゃないか( たったの数千年のことだとしても )。
もし不都合なことが発生なら、人類も[ 読者 ]も、その時考え直せばいい、見直せばいいのだ。
それまではそのように「 ある(と考えて辻褄が合う)」としておけばいいのさ。
◆物理科学上の物事や状態の「ある」=「 ある(と考えて辻褄が合う)」
は、こうして成立しているのです。