[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの操縦席(視点)は、今の今「 ON状態 」にあります。
ON状態にある時、視点は「 実感 」がいっぱいに満ち溢れます。
・・・ そして気が付きます。
[ 読者 ]ロボットの存在は独特で、他のどのロボットとも異なっている。変わってる。奇妙だ!
よくよく観測してみよう!
今の今、ここにおいて ───
視点(つまり操縦席)は、社会を覗き見ている景色を実感している。
景色ばかりでなく、神経の窓を経由して身体で感じてる様々な五感の状況も実感している。
── 腹が減ってるし、昨日作った脛の傷が痛むし。
思考と、記憶と、それが作りだす感情も実感している。
── 昨日好きな人ロボットに振られたし、悲しいし、どうやってあの人ロボットの気持ちを掴めるのか、必死に考えてるし。
この実感が視点を、とてつもない「 私 」感であふれさせている。
傍にいる他人ロボットのAさんの頭を叩いても、Aさんは「いて!」と言うが、痛みはどこにも現れない。実感しない。
しかし、[ 読者 ]ロボットの頭を思いっきりぶっ叩くと、目から火がでるような痛みを実感する。
難しい物事を認識しようと努めるとき視点は暗さを実感し、簡単なことを次々に認識するときは軽快さを実感します。
視点が実感している景色にはAさん(他人)ロボットの姿が出現している。
しかし[ 読者 ]ロボット自身の姿はない。
そんなことは、当たり前! 当たり前なのだが。
世界中に70億以上の地球人型ロボットが存在するのに、どうして世界中で[ 読者 ]ロボットだけがこうも独特なんだ?
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宇宙的、物理的、機能的には同じのハズの、[ 読者 ]ロボットとAさん(他人)ロボット。
[ 読者 ]ロボットには実感が出現し「 私 」感で満たされます。
・・・ つまり[ 読者 ]ロボットには「 実感 」というものが「紛れもなく」ある。
しかし、Aさん(他人)ロボットには、これに相当する「 実感 」を感じたり観たりしたことがありません。感じたり観たりする方法さえも解りません。
Aさん(他人)ロボットにも視点(つまり操縦席)とか実感は本当にあるのでしょうか、それともないのでしょうか。
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの操縦席は、今の今「 ON状態 」にあります。
その時、操縦席の中は実感で満たされています。
・・・ そして気が付きます。
[ 読者 ]ロボットは独特だ。他のどんなロボットとも異なっている。
「 実感 」が出現している。紛れもなくある。
実感とは『 五感・記憶・思考・感情の映像とそれらの制御機能 』つまり操縦席のこと。
そしてそれらを、感じている。制御している。
実感が苦痛感~快適感であふれるとき「 私 」感でいっぱいになる!
映像に出てくる他人ロボットは、見たところ物理科学的には[ 読者 ]と同じ地球人型ロボットだ。それぞれに個性はあるとしても、物理科学的(肉体的)には[ 読者 ]ロボットと類似したロボット。
同じ様に認識装置(脳みそ)だって備わっている。
しかしながら、他人ロボットの身体の中には操縦席も実感も確認できない。確認する方法もない。
そうだとしたら、鏡の中の[ 読者 ]ロボットも他人ロボットに違いない。
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[ 読者 ]ロボットは今ここにいて、自分と他人をたちまちに区別できます。
どうして区別できているのか、考えてみましょう。
◆ [ 読者 ]には、宇宙にたった一つの ── 視点の「 実感 」が出現しています。
その宇宙にたった一つだけの実感を伴う視点の出現について ・・・
── 実感を伴う視点が出現している ──[ 読者 ]という ── 地球人型ロボットのことを「 私 」として認識しています!
── 実感を伴う視点が出現していない地球人型ロボットのことを他人と認識します。
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの操縦席(視点)は、今の今「 ON状態 」にあります。
その時、視点は「実感」で満ち溢れています。
・・・ そして気が付きます。
今、視点が出現している。
その視点の中が、苦痛感~快適感などの実感で満たされている。
そのことで[ 読者 ]ロボットが、宇宙に独特の「 私 」だ、と認識できるのだ。
じゃあ、
Aという他人ロボットには視点(操縦席)はないのだろうか?
その視点あるとしても、苦痛感~快適感などの実感で満たされていないのではないか?
「 私 」であるハズもないAさんロボットが、
── 今、視点が出現していて、苦痛感~快適感などの実感で満たされている。だからAこそ宇宙に独特の「 私 」だよ ──
と言うのはなぜか? それは冗談か、嘘なのか?
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嘘ではなく、Aさんという他人ロボットでも「実感を伴う視点」が本当に出現しているのだとすると ・・・
Aさんロボットだって「 私 」 ── つまり[ 読者 ]でなければおかしい。しかしそうはなっていない。
[ 読者 ]の「 私 」と、Aさんの「 私 」はいったい、何がどう異なるのか?
[ 読者 ]ロボットと他人Aさんロボットがはっきり区別できているのに、説明できる差異の手懸りが何もない、なんてどういうことか!
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]の認識装置(脳みそ)は、今の今、覚醒しています。
そして気が付きます。
[ 読者 ]という地球人型ロボットには、宇宙にたった一つの視点が出現している。だから、
── 実感を伴う視点が出現している[ 読者 ]こそを「 私 」だと認識できる!
── 実感を伴う視点が出現していない「他人」たちを他人と認識しているのだ。
物理的には類似の人間同士でありながら、いったい何が[ 読者 ]だけを「 私 」にしているのか?
科学者や哲学者の皆さんはいったい何をしているのだろう?
どうしてこの、実感を伴う視点とは何か、を解き明かしてはくれないんだろう?
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[ 読者 ]には紛れのなくあるとしか思えない実感を伴う「 視点 」は、実は ・・・
科学的には捉えることが出来ないものです。
『 視点(操縦席)はだれにでもある 』ものと仮定してみましょう。
ある学者さんが、Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさんの観測したデータを集めたとします。データが正しく収集されているとすれば、この中に「実感で満たされた視点」を示すデータも含まれているハズです。
これらのデータ群を比較分析します。
視点データの特徴にはどんな性質があるのでしょう。
1)実感で満たされた視点としての共通性と
「 私 」と「 他人 」が区別できるのですから、
2)Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさん、それぞれにしかない独特性と
が、共に含まれていなければなりません。
1)共通性について
もともと物理的に共通性のある人間を分析しています。
Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさんの観測データには、たくさんの共通性が含まれています。
このうちの、どれが「 実感で満たされた視点 」の共通性を示すデータなのか、分離する方法が成立しません。
2)独特性について
「 私 」である人間にだけ「 実感で満たされた視点 」が出現しているのです。
したがって、「 実感で満たされた視点 」の存在を示すデータは下記のようになるハズです。
Aさんが観測データ群を分析した場合、
「 B、C、、、、Zさんのものは同じ。自分であるAを観測したデータの中にのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、
「 Aデータにのみ存在するこの独特性を示すデータに違いない!」
・・・実感を伴う視点はAさんだけにしか出現しませんから、これが実感を伴う視点を示すデータの可能性があります。
同様に、Bさんが観測データ群を分析した場合、
Bさんは、Aさんが分析したものとまったく同じ観測データ群を分析します。そして、
「 A、C、、、、Zさんの分は同じ。自分Bの観測データの中にのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、
Bさんだけにしか出現しない実感を伴う視点ですから、これがその実感を伴う視点を示すデータの可能性があります。
・・・同様に・・・
Zさんが、観測データを分析した場合は、
「 A、B、、、、Yさんは同じ。自分Zの観測データにのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、これがZさんだけの実感で満たされた視点のデータの可能性あり、です。
もしこれが、「実感を伴う視点」を示す独特性だとしたら?
お気づきかと思いますが、
・同じ観測データでありながら、分析した人によって、その結果が異なります。
・A、B、、、Zさん以外の人がこのデータを分析すれば、このデータ群には独特性を見出すことはできないことになります。
「 全く同じデータ群にも関わらず、分析した人の違いによって結果が異なる 」
という状況は、残念ながら、
科学が科学として成立するための大前提「普遍性」を満たしません。
世界中の学者さんたちが納得するために絶対に必須である「普遍性」が成立しない中にあっては、このような「実感を伴う視点」を捉える方法が成立し得ないのです。
宇宙の摂理が、科学万能を信仰している人間たちに例示している「科学では解けない命題」です。
したがって、
◆ [ 読者 ]には、紛れもなくある「 実感で満たされた視点 」を発見する方法が成立しません。
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斯くして、人間たちが、
── 実感を伴う視点が出現している人間のことを「 私 」だと認識する!
── 実感を伴う視点が出現していない人間たちのことを他人と認識する。
という当然のことが、科学的に実証できないのです。
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]の認識装置(脳みそ)は、今の今、覚醒しています。
そして気が付きます。
認識装置を持つ地球人型ロボットたちは、
── 実感を伴う視点が紛れもなく出現している地球人型ロボットのことを「 私 」だと認識している!
── 実感を伴う視点があるのかどうだか解らない地球人型ロボットを他人と認識する。
このもっとも当然のことが、科学的に実証できない。 同様に ──
[ 読者 ]ロボットについても、様々な手段で[ 読者 ]ロボット自身の認識装置(脳みそ)や宇宙服(肉体)の外部から観測する限り、その実感の正体も、視点(操縦席)さえも見つけられない!
Aさん(他人)ロボットの実感や視点(操縦席)を見つけられないのと同じだ!
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従って、鏡に映し出された[ 読者 ]ロボットの映像も、機器を使って[ 読者 ]ロボットの認識装置の外から観測する限り、結局は、他人ロボットなのです!
これが、少なくとも普遍性を基本に構築されている科学やその他の学術たちの限界です!
「(図りしれない)混沌 = 解り得ない、解き得ない、知り得ない 」
という概念を持ち込まない限り、宇宙を理解することは無理なのです。
【 ※ 山村宗純の解説(1) 】
私たちのように、時間をアナログで捕える仕組みの生命細胞体認識装置(脳)では、
◆ 認識装置(脳)は「認識装置の外部からの刺激を認識すると同時に、その認識装置自身が、認識活動状況そのものをも自己監視・自己認識 」しています。
例えば、複雑な状況を認識しようとしている時、頭が混乱します。と同時にその混乱状況を ── 認識装置自体が ── 観測し自己認識します。
簡単な問題をすらすら解いていれば ── その認識装置自体が ── 心地よい達成感を感じていることも、同時に自己認識しています。
この「自己認識」が哲学で定義している「 意識 」です。
通常は、心とか魂とか言われているものです。
【 ※ 山村宗純の解説(2) 】
この「 意識 」は、生物脳の外からは観測できません。
なぜでしょう。
◆ 生物脳では、アナログな時間の制御の中で、生物脳自身の内部から「自己監視・自己認識 」しています。
生物脳自体は、自身の内部から観測しているので、
「認識装置外部からの入力」と「認識装置自身の神経細胞からのフィードバックの入力」
をそれぞれ「別ものだ」認識することができます。
こうやって「認識装置自身の神経細胞からのフィードバックの入力」を認識します。
これが「 意識 」です。
この生物脳を「普遍的に観測する」ためには「脳の外部から観測」する方法しかありません。
脳外部からの観測では、記録できるのは脳出力データのみです。
「認識装置外部からの入力」も ──
「 意識 」に相当する「認識装置自身の神経細胞からのフィードバックの入力」は、観測という手法では観測できません。
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「 意識 」を科学的に見つけることができない理由は、脳を内部から観測しない限り観測できないこのフィードバック入力を観測する手段が成立しない、ためです。
つまり、「 意識 」を科学の対象とすること自体が破たんしているのです。
が、科学者は涙ぐましい努力を続けています。
※ それについては「意識のハード・プロブレム」をインターネットで検索してみてください。
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余談ですが、現状の脳科学の世界では、
アナログな時刻推移の中で、脳がどうやって論理的な思考を組み立てることができるのか、解明できていません。
それがため人間たちは、電子計算機を構築する際、「ディジタルクロック制御で処理を実現する」方法を使いました。
全ての人工頭脳は、前後に完全に独立したディジタルクロックの時間的配列で制御されています。
タイムスリット1(=今)処理の入力は、タイムスリット0(=過去)以前に蓄積されているデータを活用するように設計されています。
もし、タイムスリット1(=今)処理にタイムスリット1(=今)の出力を同時にフィードバックさせると、一体なにが起こるのでしょう? 少なくとも、これでは人類たちに処理構造を設計することは不可能です。
つまり、人工頭脳には「 今 」を認識できない = 「 意識 」を理解できない のです。
脳が「 意識 」を持つためには「 今 」を認識することが不可欠です。
当面は、「 今 」を認識できる人工頭脳ができあがる見込みはありません。
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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【 ※ 山村宗純の解説(3) 】
認識装置(脳)の外から観測する限り、科学的に「 意識(=脳活動の自己認識)」を観測する方法は見つかっていません。
「 意識 」さえも、観測できませんので、科学的に、
「 意識 」とは何か、は勿論、
宇宙にたった一つ[ 読者 ]だけに出現している、実感を伴う視点(操縦席)の正体は何か、をも観測する方法は見出せません。
言えることは、脳の内部から観測している[ 読者 ]だけに ・・・
・「 観測の窓 」である神経系を通しての、五感、記憶、思考、感情と、
・「 意識(=脳活動の自己認識) 」
そして、
・「 意識 」に憑りついている「 視点 」という実感
が「 ある 」と認識できます。
実感を伴う視点が紛れもなく出現しているのが[ 読者 ](の意識)。
実感を伴う視点があるのかどうだか知りようがないのが他人(の意識)。
※ ここでは、あるのかどうか、知り得ない、解り得ない、解き得ない状態のことを「(図りしれない)混沌 」と呼ぶことにしています。
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哲学の分野では一般的にこの「 意識 」を、実感を伴う「 視点 」とを区別していません。
ともに「 意識 」と呼んでいます。
多くの哲学者たちは、宇宙に唯一[ 読者 ]にのみに出現している「 視点 」について ── 確認する方法が見つからないにも関わらず ── 誰にでもある性質だ、ということにしてしまっています。そのために、混乱を起こしているのです。
[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けれれた地球人型ロボットの視点(操縦席)は、今の今、覚醒しています。
そして気が付きます。
認識装置を持つ地球人型ロボットたちは、
── 実感を伴う視点が紛れもなく出現している地球人型ロボットのことを「 私 」だと認識している!
── 実感を伴う視点があるのかどうだか解らない地球人型ロボットを他人と認識する。
人間たちは、地球人型ロボットスーツを着ている。
その地球人型ロボットスーツには、記憶し・感情を作り出し・思考する仕組み「認識装置」が備わっている。
ロボットスーツと認識装置は、五感の情報を伝達する神経でつながっている。
これが「 認識 」の仕組みだ。
また、認識装置には認識装置自体の活動状況をリアルタイムに「 自己認識 」する仕組み、つまり「 意識 」も備わっている。
ここまでは[ 読者 ]自身もAさん(他人)も同じだ。
そしてそこに、宇宙にただ一つ「(紛れもなく)ある! 」、絶対的に「 ある 」としか言いようのない・・・
視点を認識装置内に取り込んでいる地球人型ロボットが[ 読者 ]=「 私 」。
その視点を取り込んでいるのかどうだか、論理的に証明しようのない(=「(図り知れない)混沌 」)地球人型ロボットがAさん(他人)。
・・・です。
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「(図り知れない)混沌 」について、ここで確認しておきます。
一般に、
「 ある 」の対(反対)は「 ない 」だと言われます。
「 ある 」は、あるという事実がここにあればそれでいいのですが、「 ない 」については過去から今までの宇宙の隅から隅まで、つぶさに探索する必要がありますが、そのような方法は現実的に成立しません。
「 ない 」は証明する方法が論理的に成立していません。
「 ある 」の対になる状態は「 あるともないとも知る方法がない。解り得ない 」ということ。
そのことを、ここでは「(図り知れない)混沌 」と言っています。