「私」は、すでに神さま(仏さま)の慈愛の力によって救済されているのです。
しかしならが、「私」は、常に煩悩や欲求(註)によって、苦悩から遠ざかることを妨げられています。「私」がこの苦悩から解き放たれるには、神さま(仏さま)の慈愛による救済を心から「信じる」気持ちが必要です。
(註)煩悩 : 必要以上の過剰な欲望
欲求 : 社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識
救済は、善いことをしたとか悪いことをしたとか、罪人だとかそうでない人だとか、などとは全く関係なく行われます。自身の心や身体を鍛錬して得られる、という類のものでもありません。私たちの力や行いを超越したものなのです。
ただ、「神さま(仏さま)の慈愛を心から信じる(帰依する)こと」(=「本願他力」)によって、私たちは苦悩から解き放たれるのです。