◇ 小中学生のための『歎異抄』解説 ◇

    800年も前に生きた人たちが、真剣に心を見つめて、それを記録していました。
    『 「結果」の良し悪しなんて関係ありません! 重要なのは、いまこここの・・・「生き方」なのです 』
 

【要旨】 親鸞「師も弟子もない」

  誰が誰の弟子だとか、弟子を取られたとか、破門したとか、の争いはもってのほかです。仏さま(神さま)の慈愛の存在を納得し(帰依し)たという人々の間で、師も弟子も関係ありません。

  私親鸞は、弟子をもったという覚えは一度もありません。他の人を私の教えで導こうなどと思ったこともありません。教えが真理かどうかは、受け止めた人本人の納得(うなずき)によって決まります。

  教えを受けた人は、教えを伝えてくれた人に感謝の念を抱いていれば、それでいいのです。

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<解説> 宗教とか宗派など有り得ない

  教えを人に語るとき、それを教えた人と教えられた人の間に、師弟、先生と生徒、師範と門弟などという関係は存在し得ません。

  私たちは、先人たちをを敬い、弱い人たちを支え、一生懸命な人たちを尊敬し、お世話になた人たちに感謝します。そうした一人ひとりの人のつながりの一つであり、それ以上のことではありません。

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<解説> 信仰と、宗教・宗派は別のもの

  ありえない奇跡を実現している不思議な力は、唯一だともいえますし、それを信じている(信仰してしている)方々の心の数だけある、ともいえます。
  しかしながら、昔の方々が多くの人を通じて伝えたり、記録に残したりした折に、言い伝えや記録に少しずつ違いが出てしまいました。そして、「宗教」とか「宗派」とかが生まれてしまいました。元の精神「神さま(仏さま)の慈愛を信じる」ということには何も変わりはありません。そして、「神さま」も、仏教で表現している「仏さま」も、違いはありません。

  宗教や宗派に属して、「神さま(仏さま)の慈愛」を信じている気持ちも、無宗教だと言いつつ「ありえない奇跡を目の当たり実現している不思議な力」を思い、これを信じたいと思っている気持ちも、「信仰心」には違いありません。
  信仰と宗教は直接的には関係がないのです。

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カテゴリー

  • はじめに(信仰心はだれにも) (4)
  • 序 章(誤解を正すために・・) (1)
  • 第一章(神(仏)さまの慈愛) (3)
  • 第二章(念仏を称えて) (8)
  • 第三章(悪人と善人) (2)
  • 第四章(自力と他力) (2)
  • 第五章(本願にうなずく) (3)
  • 第六章(師弟などない) (3)
  • 第七章(今の信仰心が全て) (1)
  • 第八章(修行でも善行でもない) (1)
  • 第九章(煩悩とともに生きる) (1)
  • 第十章(心で感じる真理) (2)
  • 中 序(曲解の事例紹介) (1)
  • 第十一章(理解ないくせに!) (2)
  • 第十二章(仏教知らんくせに!) (2)
  • 第十三章(念仏で悪事も平気!) (2)
  • 第十四章(念仏で罪が消える!) (2)
  • 第十五章(悟りを開いた!) (2)
  • おわりに(まとめ) (4)
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     閉塞感の中で悶々と生きている若者たちのために残した、先人たちの愛のメッセージ。
  • 【小中学生のための歎異抄】
     歎異抄を子どもたちにも理解できるように解説
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  • ◇ 小中学生のために『歎異抄』を解釈 ◇
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