「念仏を称えれば救われるだから、悪業であろうとなかろうと気にせずにやればいいのだ」
「本願は悪人を救うためのものであるのだから、救いを得るためには、悪業を行う方がよいのだ」
また、一方では
「善人だけが本願を信じることができる。これこれのような行いをしたものは念仏するに値わない」
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仏さま(神さま)は、慈愛(=奇跡と不思議の力)により、全ての人を救済されているのです(=本願)。
私たちは、本願を信じ納得することによって、心の安らぎを得られます。念仏を称えるということは、納得していること証です。
本願の救いは、行いの善悪とは直接には関係しないのです。
しかしながら ・・・
本願を納得する思いの裏には、『私がいかに悪人で罪作りであるか、という謝罪、反省』があるのです。
私は、煩悩や欲求に引き摺られて生きています。無駄なこと・無責任なことによって、必要以上の生命・資源を消費し、人に迷惑をかけています。
悪事をたくらむ人や、善悪の行為に無頓着な人が、格好だけの念仏を称えても、それは念仏にならないのです。
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