私親鸞は、親のためとか祖先のために念仏(おまじない)をとなえたことはありません。私親鸞や人が善行を積むことで、親や祖先を救済できるわけではありませんから。救済は、仏さま(神さま)の慈愛の中で行われています。
(「私」や)すべての人々を救済するという誓い(=本願)の存在を、納得しうなずくとき --- これを「本願他力」をいいます --- たとえ地獄にいても、この救済を知り、感じ、そして、信じることができます。
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