凡人の「私」は、
(1) まず、何もかも超越した力の存在を理解しなければなりません。
(2) その力によって、既に「私」は全ての苦悩から救済されているのですが、
(3) 「私」の、煩悩や欲求(註)が、これを心から「信じるきる」ことを妨げているのです。
(註)煩悩( =必要以上の過剰な欲望 )
欲求( =社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識 )
(4) 「私」は、おまじない(念仏)を称(とな)え、
これも、在るがままの自分の姿、自然な姿なのだ、と、少しずつ理解を進めます。
・・・ ・・・ ・・・ そして、これらを、繰り返しながら生きていくのです。
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念仏して神さま(仏さま)の慈愛による救済が行われるわけではありません。「私」に対する救済は既に完成しているのです。
「私」は、煩悩や欲求に妨げられて、既に、救済されている自分を、感じ取ることが出来ないでいるだけ。
超人的な人は --- 必要ならば念仏(おまじない)で --- その煩悩や欲求を吹き飛ばしてしまうのでしょう。しかし、「私」は凡人ですから、それは困難です。
おまじない(念仏)は、
煩悩や欲求に振り回されて、なかなか、救済されていることを信じ込めず、また、感じ取れないでいる状態でいる、これもまたごく「自然な」自分の姿なのだ、ということを自分に語りかけるための言葉なのです。
念仏「南無阿弥陀仏」、お題目「南無妙法蓮華経」は、おまじない『これでいいのだ!』、と同じです。
ひたすら、「これでいいのだ、これでいいのだ、・・・」と念じていれば、ひとりでに力が湧いてきます。ただそれだけのことです。
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