凡人の「私」には、
・煩悩や欲求を理解し、
(註)煩悩 : 必要以上の過剰な欲望
欲求 : 社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識
・この、煩悩や欲求から惑わされることなく完全に超越し、神さま(仏さま)の慈愛の導きを信じきる。
ことが、理想だと知りつつも、どれ一つとして、まともにできるものではありません。
この聖人の域に達するには、百年、千年もの時間が必要かと思われます。到達できるかどうかわからない、はるかに遠い道のりです。
凡人の「私」の、「私」なりの「節度」とは、「聖人の節度」を意識しつつも、毎日、常に煩悩や欲求の誘惑に振り回されている自分の姿を見つめながら、生きていくことです。
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