◇ 小中学生のための『歎異抄』解説 ◇

    800年も前に生きた人たちが、真剣に心を見つめて、それを記録していました。
    『 「結果」の良し悪しなんて関係ありません! 重要なのは、いまこここの・・・「生き方」なのです 』
 

<解説> 命のつながり

  この宇宙は、最初は何もなかったのでしょうか。
  何もなかったとしたら(宇宙が存在しなければならない理由もないのに)、何の理由があって、この宇宙が存在することとなったのでしょうか。
  また、何もなかったとしたら(物質や力や法則を生み出す素(もと)もないのに)、どうやれば、無から有を生み出すことができるのでしょうか。科学的な理解を超越しています。

  それとも、最初から何か宇宙の素(もと)があったのでしょうか。もし、あったとしたら、いつからあったのしょうか。いつからかあったとしたら、やはり、最初はなかった、というとでしょうか。

  時間はいつからあったのでしょうか。時間は動かないのでしょうか。
  時間は最初からあったとしたら、その最初というのはいつなのでしょうか。

  私たち人間には理解のできないことだらけです。おそらくは人間の英知では永遠に解くことはできないでしょう。

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  しかしながら、今ここに、無限の時を経て、無限の広さの宇宙の中に、地球が存在し、「私」が生きています。これはなにごとよりも絶対確かな事実です。
  宇宙空間が生まれたのは、ビックバンが起こった140億年ほど前よりも、ずっと前です。
  生命が生まれた、36億年前に一つの細胞に、「私」の素も含まれていした。そして、延々と引き継がれて、今ここに「私」がいます。
  科学や哲学が進んで、大勢の人間が、いくら時間を掛けて考えても、「無(何も無い、空間も無い、時間もない、あらゆる法則もない)」から「私」の存在への「つながり」を説明できるハズがありません。明日突然、太陽が消えてなくなる確率よりも、もっとありえない「奇跡」が起こったのです。

  「奇跡」とそれを実現させた「不思議」の力を思わざるを得ません。

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<解説> 納得しうなずくこと

  奇跡(「私」の存在)を実現した不思議な力は、あるがままの自然な潮流(導き)を作り出しています。今までも、その不思議な力は、そうやって「私」を存在させ、導いてくれています。今後もそうです。
  ⇒「そんなことはない。根拠がない」という方には、こう説明します。
     「そうではない」と考えることによって、どんなよいことが貴方に「もたらされる」のでしょうか。

  奇跡(「私」の存在)を実現した不思議な力を納得し、うなずけるときに救済を知り、全ての不安・苦悩から解放されます。しかし、「私」は多くの場合、理屈でそれを知っても、気持ちは、本当にそうだかどうか迷っています。
  全ての不安・苦悩から解放されているにも関わらず、心が、気持ちが、煩悩や欲求に惑わされて、心からそれを信じ切れないでいるのです。

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【要旨】 親鸞「師も弟子もない」

  誰が誰の弟子だとか、弟子を取られたとか、破門したとか、の争いはもってのほかです。仏さま(神さま)の慈愛の存在を納得し(帰依し)たという人々の間で、師も弟子も関係ありません。

  私親鸞は、弟子をもったという覚えは一度もありません。他の人を私の教えで導こうなどと思ったこともありません。教えが真理かどうかは、受け止めた人本人の納得(うなずき)によって決まります。

  教えを受けた人は、教えを伝えてくれた人に感謝の念を抱いていれば、それでいいのです。

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<解説> 宗教とか宗派など有り得ない

  教えを人に語るとき、それを教えた人と教えられた人の間に、師弟、先生と生徒、師範と門弟などという関係は存在し得ません。

  私たちは、先人たちをを敬い、弱い人たちを支え、一生懸命な人たちを尊敬し、お世話になた人たちに感謝します。そうした一人ひとりの人のつながりの一つであり、それ以上のことではありません。

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<解説> 信仰と、宗教・宗派は別のもの

  ありえない奇跡を実現している不思議な力は、唯一だともいえますし、それを信じている(信仰してしている)方々の心の数だけある、ともいえます。
  しかしながら、昔の方々が多くの人を通じて伝えたり、記録に残したりした折に、言い伝えや記録に少しずつ違いが出てしまいました。そして、「宗教」とか「宗派」とかが生まれてしまいました。元の精神「神さま(仏さま)の慈愛を信じる」ということには何も変わりはありません。そして、「神さま」も、仏教で表現している「仏さま」も、違いはありません。

  宗教や宗派に属して、「神さま(仏さま)の慈愛」を信じている気持ちも、無宗教だと言いつつ「ありえない奇跡を目の当たり実現している不思議な力」を思い、これを信じたいと思っている気持ちも、「信仰心」には違いありません。
  信仰と宗教は直接的には関係がないのです。

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【要旨】 親鸞「今ある信仰心がすべて」

  念仏(おまじないを称える)者は、何の妨げも気にする必要はありません。

  信仰心を持つ者は、恐怖心につながる迷信や、不安な気持ちさせる理由のない常識概念に振り回される必要はまったくありません。また、過去の悪行がどうだとか、あるいは善行がどうだとか、そういうことにも、一切とらわれる必要もありません。
  

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【要旨】 親鸞「念仏は修行ではありません」

  念仏(おまじない)は、悪人から立ち直れない自らに対しての心からの謝罪と、仏さま(神さま)の救済への感謝です。

  自らを鍛え、つらい「修行」を行うためのものではありません。また、また、念仏(おまじない)をとなえることは、「善行」でもありません。非行非善(ひぎょうひぜん)です。

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【要旨】 親鸞「煩悩、欲求心と付き合いながら」

  ・何もかも超越した力の存在を理解し、
  ・その力によって、既に「私」は全ての苦悩から救済されていることを知り
  ・煩悩や欲求(註)から解き放たれれば、
     (註)煩悩( =必要以上の過剰な欲望 )
        欲求( =社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識 )
歓喜に満ち溢れ、自ら、死後の浄土に旅立つということも有りうるかも知れない。

  私たち凡人は、常に煩悩や欲求から逃れられず、また、死を浄土への旅立ちと思うこともできずに、恐怖心に取り付かれながら、生きていくしかないのです。
  救済の中にあっても、心の中が歓喜で満ち溢れ、一刻も早く浄土に旅立ちたいと感じる、いう類のものではないのです。

  念仏(おまじない)をとなえ、自らの煩悩や欲求から生じる悪行を省みて心から悔い、それでも行われている救済を実感し、感謝しながら、命を全うすることが、凡人に与えられた生きる道なのです。

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【要旨】 親鸞「念仏は無心」

  念仏(おまじない)は、理屈ではありません。無心の「思い」です。

  仏さま(神さま)の慈愛の力に、すべてが救済されている。 --- 感じますか。納得しますか。うなずきますか。

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<解説> 今ある自分が自然なこと

  念仏(おまじない)は理屈でなく、無心の「思い」。

  救済されていることを心から信じ込むことができず、なお、苦悩している「私」が、
  「今の苦悩は、救済を心から信じることができないために生じている。苦悶するのも当たり前で自然なこと。自然なこと。全てがごくごく自然なこと」です。

  「 この苦悩自体も実も救済の中であり、普通で自然なことだ、と信じれば、実は苦悩ではない 」
  という思いを念じているのです。

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     「 私 」とは何か。だれがなんのために、どうやって[ 読者 ]を「 私 」にしたのか。
  • 【普通に生きるための禅】
     閉塞感の中で悶々と生きている若者たちのために残した、先人たちの愛のメッセージ。
  • 【小中学生のための歎異抄】
     歎異抄を子どもたちにも理解できるように解説
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  • ◇ 小中学生のために『歎異抄』を解釈 ◇
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