「私(あなた)」はいつも「充実した、心豊かな」時を過ごしたい。にも関わらず・・・
「苦しくて、辛くて、悲しくで・・・、もう耐えられない」
「この広い宇宙の下で、俺(わたし)以外の人間には、この苦しさも、辛さも、悲しさも、理解できない、出来るはずもない。なのに、死ぬのは逃げだとか、悪だとか言うのか・・・」
──── 死んでしまいたい人に、人間社会が勝手に決めた善悪や価値観なんて、まったく無関係だし、意味が無い。勝手に死ねばいいのです。犯罪者なることも恐れないなら、殺したいやつは殺しせばいい。親鸞聖人の言葉を借りれば、生き方、死に方に依らず、犯罪者であれ、誰もが『すでに』救われている(=極楽浄土に行く切符を持っている)のですから。
「死んでしまいたい。殺してやりたい!」 それも、持って生まれた「煩悩」。煩悩とどう向き合うのか。それが生きること。なのだそうです。
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「こんなつらい事態に、自分に、どう向き合えばいいのか。本当の自分を知りたい! 悲壮感の中で死ぬのも、殺人者になるのも。死ぬ意味について、人を殺す意味について、未来の意味について。その思いそのものが生きること」
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(1) 「私(あなた)」は既に、あらゆる悩みから救済されています。そして、いつ死んででも極楽浄土、天国に行けます --- いえ、今でも極楽浄土、天国にいる。「私(あなた)」は十分過ぎる「幸せ」の中に居るのです。
「私(あなた)」が・・・
・痛みに苦しんで泣いていようと、楽しんで笑っていようと
・悩み苦しんでいようと、のんびり暮らしていようと
・毎日働くのが辛かろうと、充実していようと
・健常者であろうと、ハンディキャップがあろうと
・財産があろうと、無かろうと
・頭がよかろうと、悪かろうと
・悪事を企んでいようと、善行を計画していようと
・根っからの悪人であろうと、真の善人であろうと
・・・ そんなこととは一切関係なく。
(2) 凡人である「私(あなた)」は「救済が完了している」ことを「信じられない」でいます。 --- 嘘だろ!?
だから、不安で、じっとしていられないほど、泣きたいほど、辛くなってしまいます。
(3) 「救済が完了している」ことを信じられないのは、凡人である「私(あなた)」の業(ごう・生まれながらの性分)のためです。
仕方がありません。その業(性分)と付き合いながら、マイペースで歩いていく、それが生きることの意味です。--- そのうちには心から信じられる日が来るかもしれませんから。
(4) それでも、あまりに辛かったり、じっとしていられないなら、死ねばいいじゃないか。殺人者になればいい。・・・ そのことと救済とはまったく関係ありません。
死ぬのは逃げだとか、悪だとか、殺人は罪悪だとか、そんなこと、死にたいほど苦しい者にはなんの意味も持ちません。 もし、「死」や「殺人」が、「私(あなた)」を「苦しみ」から解き放ち、「私(あなた)」に、永遠の「充実と心豊かさ」を提供してくれるのなら。
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「煩悩と付き合って、今の自分を生きること」、それしか在りません。
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