宇宙を制御し、極めて奇跡的で不思議なバランスをつくり上げている、この理解を超えた力。「私」は、ただただ、恐れおののくしかありません。
一方では、煩悩や欲求(註)に振り回されています。矛盾しているようですが、これも理解を超えた不思議と奇跡の力のバランスの中です。・・・ これも神さま(仏さま)の慈愛による救済の中、なのです。
(註)煩悩 : 必要以上の過剰な欲望
欲求 : 社会・組織・自分の中に潜む、意味のない迷信・常識意識
「私」は、今も、苦悩( 明日をも知れぬ不安、孤独、病気の痛み・苦痛 ・・・)に引き裂かれそうです。
それは、「私」が、煩悩や欲求の誘惑に惑わされているからです。(えっ!、そんなことはない? 必要最低限の欲求さえ満たされていない、と思っているのでしょうか?)
そして、そんな「私」自身を、「不自然」だと思い込んでいるからです。この「不自然」さに絶えられないから苦しいのです。
じつは、それは「私」にとってごくごく「自然」なことが起こっているのです。にも関わらず、「私」にはどう考えてみても「不自然」なことが起こっているとしか感じられない「だけ」です。
結局「私」は、そこで、ごく「自然」だと感じるまで、繰り返し、その不自然さを体験してみるしかありません。そして、「自然」だと感じる「糸口」がきっと見つかるはずです。なぜなら、もともと、「不自然」だと思いつつ生きていくこと自体が「自然」だ( つまり、神さま(仏さま)の慈悲による救済の中にある )からです。
これも、理解を超えた不思議と奇跡の、力のバランスの中のことです。
この解説は、小中学生には分からないでしょう。解説文そのものが難しくて理解できないからです。
不必要な用語を多く使用したがために、混乱しております。
いま少し、簡単明瞭に解説しないと歎異抄が書かれた目的に反します。
投稿情報: nak | 2014/02/13 01:38
>nak様
色々な解説本があります。私には難しかったので、自分の価値観を基本にして理解するしかない、と思いました。本サイトは私の感性ベースの「簡単」であろうかと思います。
ご自分の価値観・感性に訴えかけてくる、分かりやすい、と思われる解説を探されることをお勧めします。
コメントありがとうございます。
投稿情報: サイト管理者:Popula | 2014/02/13 11:40