[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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宇宙を支配する原理は「 図り知れない混沌 」。
[ 読者 ]というロボットがこの世に産み出された理由は解りません 。
[ 読者 ]というロボットが生きて行く真の意味も解らない 。
しかし、[ 読者 ]というロボットが1、2歳になって、視点(操縦席)が「 出現 」し、その操縦席(視点)が強烈に「 私 」感でいっぱいになっていることに気が付きます。
そして、目の当りの映像は全て ── 神経と言う窓を通して ── 視点(操縦席)に映し出されることを知って、これはまぼろしかもしれないと理屈上は解っていても、実在する(ある)、と考えても矛盾しない(辻褄が合う)、と認識しながら生きています。
[ 読者 ]ロボットの視点(操縦席)は紛れもなくある。
視点(操縦席)は、快適感~苦痛感などの「 実感 」があふれ「 私 」感でいっぱいです。
それなのに、確かにある、絶対にある、実感がいっぱいの視点(操縦席)さえ、脳のどこにあるのか、知ることができないのはなぜだ? ほんとに脳にあるのだろうか。
その絶対にある実感、視点(操縦席)は、どこから来て、やがてどこへ行くのでしょうか。
Aさんと名付けられた他人の地球人型ロボットも、「 私 」感がある、という。
だのに、[ 読者 ]ロボットと同じようにあるかどうか、確かめられないのはなぜ?
この「 私 」感とはなにか?
生まれながらにして、本能、欲望として、快適感を獲得しようとし、苦痛感から逃れようとする性質のことらしい。
はっきり言えることは、この「 私 」感こそが[ 読者 ]ロボットが生きていくことの原点 になっている、ということだけだ。
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