最近は、なんでも考えることを哲学というらしい。
元来は、哲学と科学は同じで、物事状態の本質を探究すること、だったと思われます。
※ ここでいう哲学とは、謂わば
「 科学では解けないで、残留してしまった科学命題 」
のこと。論理学、倫理学、美学、人生論は含みません。
一般的には、形而上学と呼んでいるのかも知れません。
人類は、科学を応用して、
「未来を予測する、制御する」
ということで大変な恩恵が得られることを知りました。
科学のお蔭で医療は進歩し、教育環境も整い、そして ・・・
人が幸福になるのかどうかはさておき、マネーゲームに没頭することとなりました。
人より少しでも先を予測し制御できれば、大儲けができることを知ったのです。
物事の原因と結果の一定の秩序( 法則 )を見つけ出すことを科学と呼び、賢者やテンションの高い人たちはそのことに集中してしまいました。
なんのために、宇宙やその法則は存在しているのか。
なんのために人類は存在しているのか。 とか ・・・
宇宙が存在することとなった究極の種(原因)はなんだったのか。
そもそも人間とは何か。
・私という視点は一体どこから来て、どこへ帰るのか。
・私の心ってなんだろう、他人の心とはどこがどう違って、私を他人と区別させているのだろうか。
・私の心は ── あの誰にも注目されるヒーローの ── Aさんに宿らず、この貧相な自分に宿ってしまったのだろうか。どうして取り替わらないのだろうか。
などの不思議不思議、超不思議なこと。それは、
「 そんな金を産まないものに何の価値があるのか。そんな考えたって役にも立たない。単なる ── 哲学者の ── 気紛れだ 」
そうやって、折角の頭脳の持ち主たち(政治家、事業経営者、科学者たち)をはじめ、多くの人たちはあたかも、
経済システムに貢献することこそに普遍的な価値
であるが如くに、心に焼き付いてしまっています。
社会の人たちが私腹を肥やし、時には命懸けで争っていることの価値を、理路整然と説明できますか?
人類が生き延びて行く意味も価値も説明できないでいるのに、どうしてお金?
あるいは、経済システムを崇拝することに、もうくたくたになっているかも知れませんね。
人類が生き延びて行く意味、価値を考えること、そちらを先に学んでおく必要があるのではないでしょうか。
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ただし、宇宙が存在する普遍的な意味も、人類が生き延びて行く普遍的な価値も、その答を見つけた人は未だ居ません。
一部の賢者たちは、解けないことに納得せず、その恐らくは絶対に解けない ── とも思われる ── 課題を
「哲学」
として探求し続けています。
── ただ、その多くの賢者たる哲学者論理展開は、一般の私たちにむずかしすぎて、何を定義されているのか、さえも分からない。独りよがりにも見えます。
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人類は、宇宙の壮大さ、偉大さを忘れようとしています。
科学で宇宙を、生態系を制御できる、と思い始めています。
今も、量子ねじれ、ヒックス粒子、ダークマター、ダークエナジーなど今までの科学では説明のつかない現象がどんどん見つかっているのです。
はっきり観測できている現象の方が、観測できるかどうか微妙な現象よりも多い、と思えますか?
核エネルギーや放射能に関してでさえも、人類は完全に手のひらに乗っている、と信じているようです。本当にそうでしょうか?
どうして保証もないのに、100%理解できた、と思いこんでしまうのでしょう。
分からないことの方が多いハズなのに。
私たちは、
◆ 壮大ななぞに囲まれた宇宙の片隅にたまたま出現した、ほんの小さな「秩序の水溜り場」の中で息をついている
ということを心に刻み、驕らず、謙虚に、宇宙の摂理を畏れ、その気持ちを忘れずに生きて行けば、心の豊さにたどり着けるでしょう。
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