[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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さて、これから「 ある 」とはどういうことか、について考えてみようと思います。
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの視点(操縦席)は、今の今覚醒しています。
そして気が付きます。
[ 読者 ]が今、覚醒していないとしたら、熟睡しているとしたら? 生まれてくる前だったら?
[ 読者 ]の認識装置(脳)が、今の今、世の中で発生している物事状況を認識するにはどうすればいいのだろうか? これも正に「(図り知れない)混沌 」としか言いようがない!
のちに覚醒した折に、熟睡していた間や、生まれる前の関東大震災前後に記録された情報とか、その時覚醒していた「ハズ」の人からの情報記録を取得して、過去を遡って想像する、しかないのだ!!
それは、覚醒している今の認識が、覚醒していなかった過去のものごと状態の痕跡や記録内容を推測し、「 あった(と考えて辻褄が合う)」と納得している、のだ。
これがもし、未来のこと、[ 読者 ]が死んだ後のことだとしたら、
[ 読者 ]が覚醒している今の認識として、[ 読者 ]が覚醒していない未来のものごと状態が「 あるハズ(と考えて辻褄が合う)」内容の未来予測が「 ある(と考えて辻褄が合う)」ということになります。
何時にあろうとも、
[ 読者 ]の認識装置が、今 ── 生まれていなかったり、眠っていたり、死んだ後だったりで ── 覚醒していないなら、それは「認識」という活動を直接的に認識する方法なんて「(図り知れない)混沌 」です。
「 ある 」について語る時は、[ 読者 ]の記憶装置はいつだって、いつもいつも、今、ここにあって、覚醒している必要があるのです。
なんだかとても当たり前ながらも、不思議な気がします。
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