[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]と名付けられた地球人型ロボットの視点(操縦席)は、今の今覚醒しています。
そして気が付きます。
「 観測の窓 」という神経を経由して認識しているすべては ── だれが何のためには解らないとしても ── 五感の映画のような虚像なのかもしれない。
しかし、
「 観測の窓 」という神経を通さないで認識できているものが一つだけある。
それは、
今ここ、その ── 虚像かも知れないものを ── 視て感じている五感の「視点がある」、ということだ。われ思う故にわれあり、ではなく、思う故に(思うという現象は紛れもなく)あり、なのだ。
その五感の視点に映し出されているものは、地球人型ロボットも含めて虚像かも知れませんが、その「(紛れもなく)ある 」視点が、あると納得できるということが「 ある(と考えて辻褄が合う)」です。
その宇宙にたった一つだけ出現している視点(操縦席)を取り込んでいるがごとくに見える地球人型ロボットのことを[ 読者 ]といいます。
もし、Aさんの体内に取り込まれているような視点ならば、Aさん=[ 読者 ]です。
そうでないことで、Aさんは他人だと分かります。
「(紛れもなく)ある 」視点(操縦席)の納得が「 ある(と考えて辻褄が合う)」の認識を成立させている根源になっているのです。
ただ、Aさん(他人)も「 私にも視点があります 」と言いますが、それは嘘だか、錯覚だか・・・。
言えることは、そんな視点の存在を、科学的にも論理的にも「 ある 」と論拠づける方法が成立しないだけ(=「(図り知れない)混沌 」)のことです。
[ 読者 ]は、Aさん(他人)の視点だって「 ある(と考えて辻褄が合う)」と納得している、と仰るかもしれませんね。その場合は、[ 読者 ]がどのようにして瞬時に、自身と他人、を認識できるのか、しているのか、納得できる説明を試みてみてください。
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蛇足ですが、
哲学者や科学者の方々は、「 視点(操縦席 )」と「 意識(脳の自己認識)」を同じものと考えているようです。
それがために、
・「 意識 」=「 視点(操縦席)」は、[ 読者 ]にもAさん(他人)にも誰にでもある。
・にも拘わらず[ 読者 ]は宇宙中に唯一、独特である。
という矛盾に落ち込んで、迷路を彷徨っているのです。
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