[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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【 ※ 山村宗純の解説(3) 】
認識装置(脳)の外から観測する限り、科学的に「 意識(=脳活動の自己認識)」を観測する方法は見つかっていません。
「 意識 」さえも、観測できませんので、科学的に、
「 意識 」とは何か、は勿論、
宇宙にたった一つ[ 読者 ]だけに出現している、実感を伴う視点(操縦席)の正体は何か、をも観測する方法は見出せません。
言えることは、脳の内部から観測している[ 読者 ]だけに ・・・
・「 観測の窓 」である神経系を通しての、五感、記憶、思考、感情と、
・「 意識(=脳活動の自己認識) 」
そして、
・「 意識 」に憑りついている「 視点 」という実感
が「 ある 」と認識できます。
実感を伴う視点が紛れもなく出現しているのが[ 読者 ](の意識)。
実感を伴う視点があるのかどうだか知りようがないのが他人(の意識)。
※ ここでは、あるのかどうか、知り得ない、解り得ない、解き得ない状態のことを「(図りしれない)混沌 」と呼ぶことにしています。
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哲学の分野では一般的にこの「 意識 」を、実感を伴う「 視点 」とを区別していません。
ともに「 意識 」と呼んでいます。
多くの哲学者たちは、宇宙に唯一[ 読者 ]にのみに出現している「 視点 」について ── 確認する方法が見つからないにも関わらず ── 誰にでもある性質だ、ということにしてしまっています。そのために、混乱を起こしているのです。
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