[ 読者 ]:読者の名を入れて読んで!
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[ 読者 ]の認識装置(脳みそ)は、今の今、覚醒しています。
そして気が付きます。
[ 読者 ]という地球人型ロボットには、宇宙にたった一つの視点が出現している。だから、
── 実感を伴う視点が出現している[ 読者 ]こそを「 私 」だと認識できる!
── 実感を伴う視点が出現していない「他人」たちを他人と認識しているのだ。
物理的には類似の人間同士でありながら、いったい何が[ 読者 ]だけを「 私 」にしているのか?
科学者や哲学者の皆さんはいったい何をしているのだろう?
どうしてこの、実感を伴う視点とは何か、を解き明かしてはくれないんだろう?
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[ 読者 ]には紛れのなくあるとしか思えない実感を伴う「 視点 」は、実は ・・・
科学的には捉えることが出来ないものです。
『 視点(操縦席)はだれにでもある 』ものと仮定してみましょう。
ある学者さんが、Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさんの観測したデータを集めたとします。データが正しく収集されているとすれば、この中に「実感で満たされた視点」を示すデータも含まれているハズです。
これらのデータ群を比較分析します。
視点データの特徴にはどんな性質があるのでしょう。
1)実感で満たされた視点としての共通性と
「 私 」と「 他人 」が区別できるのですから、
2)Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさん、それぞれにしかない独特性と
が、共に含まれていなければなりません。
1)共通性について
もともと物理的に共通性のある人間を分析しています。
Aさん、Bさん、Cさん、、、、Zさんの観測データには、たくさんの共通性が含まれています。
このうちの、どれが「 実感で満たされた視点 」の共通性を示すデータなのか、分離する方法が成立しません。
2)独特性について
「 私 」である人間にだけ「 実感で満たされた視点 」が出現しているのです。
したがって、「 実感で満たされた視点 」の存在を示すデータは下記のようになるハズです。
Aさんが観測データ群を分析した場合、
「 B、C、、、、Zさんのものは同じ。自分であるAを観測したデータの中にのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、
「 Aデータにのみ存在するこの独特性を示すデータに違いない!」
・・・実感を伴う視点はAさんだけにしか出現しませんから、これが実感を伴う視点を示すデータの可能性があります。
同様に、Bさんが観測データ群を分析した場合、
Bさんは、Aさんが分析したものとまったく同じ観測データ群を分析します。そして、
「 A、C、、、、Zさんの分は同じ。自分Bの観測データの中にのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、
Bさんだけにしか出現しない実感を伴う視点ですから、これがその実感を伴う視点を示すデータの可能性があります。
・・・同様に・・・
Zさんが、観測データを分析した場合は、
「 A、B、、、、Yさんは同じ。自分Zの観測データにのみ、独特性を示す部分がある 」
そして、これがZさんだけの実感で満たされた視点のデータの可能性あり、です。
もしこれが、「実感を伴う視点」を示す独特性だとしたら?
お気づきかと思いますが、
・同じ観測データでありながら、分析した人によって、その結果が異なります。
・A、B、、、Zさん以外の人がこのデータを分析すれば、このデータ群には独特性を見出すことはできないことになります。
「 全く同じデータ群にも関わらず、分析した人の違いによって結果が異なる 」
という状況は、残念ながら、
科学が科学として成立するための大前提「普遍性」を満たしません。
世界中の学者さんたちが納得するために絶対に必須である「普遍性」が成立しない中にあっては、このような「実感を伴う視点」を捉える方法が成立し得ないのです。
宇宙の摂理が、科学万能を信仰している人間たちに例示している「科学では解けない命題」です。
したがって、
◆ [ 読者 ]には、紛れもなくある「 実感で満たされた視点 」を発見する方法が成立しません。
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斯くして、人間たちが、
── 実感を伴う視点が出現している人間のことを「 私 」だと認識する!
── 実感を伴う視点が出現していない人間たちのことを他人と認識する。
という当然のことが、科学的に実証できないのです。
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