哲学がいう「意識」とは、一般には「心、魂」などというものでもありますが、心や魂の定義がないし、それどころか、殆んどの人は、個別に別々のことを連想しているかもしれません。
<ここで哲学でいう『意識』を定義します>
友人に「今、自分の脳が考えてるって、感じるだろう?」と問うと「そんなこと感じてない」という答えが変えてきました。
説明の仕方を工夫しないと分かりにくいようです。
これはどうでしょうか。
「今、楽しいとか、哀しいとか、つまらんとか、何か感じてない?」
───「えぇ? 今夜雪が降らないか心配してるよ、今」
「その、心配してる、のは脳の働きでしょう」
───「まあ、そうだろうな」
「今心配しているのが自分の脳。自分の脳が心配してるって知ったのは、きみの何?」
───「それも俺の脳だろうな」
「今、自分の脳が、心配している、そして、そのことを今認識しているのも自分の脳だ」
───「なにも不思議じゃあない。普通のことだ」
「そう、生まれて来てから、ずーっとそうだ。
普通に言えば、自分の存在を自分自身が知っているという現象があるよね。
正確に言えば、今の自分の脳の活動を、今まさに自身の脳で知る(認識する)現象。
これが哲学でいう『意識』だ。」
皆さんが考える「心、魂」などは異なるかもしれません。
しかしどなたの定義でも、ここで定義する『意識』がないことには、それが成立しないハズです。違うでしょうか?
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