解説がなるべく正しく伝わるように、まずはここで使っている、特別な言葉を定義しておきます。
[ 読者 ]
今、このブログを読まれている方ご自身のお名前を入れてお読みください!
「 哲学 」
科学では解けないで、残留してしまっている科学命題。
元来は、哲学と科学は同じで、宇宙全ての原理の本質を探究すること、だったと思われます。
昔の科学者たちは、科学では解けない、解き得ない宇宙、自然の原理があることに気が付いたはずです。
それを指しています。
論理学、倫理学、美学、人生論、宗教などは含みません。
「 秩序空間、ビッグバン宇宙 」
空間、時間、法則が支配しているこの物理空間。[ 読者 ]が覚醒しているときに自身がここにいると感じている空間。
ビッグバン内の宇宙空間。
「 地球人型ロボット(スーツ) 」
人間のカラダをロボットに見立てました。
物理的なカラダや、そのカラダの中で生じている物理的、電磁的、化学的現象。
下記の、脳内の物理的、電磁的、化学的現象も含みます。
「 視点 」
五感、記憶、思考、感情の現れ、実感、出現のこと。
「 観測の窓 」を経由するしているので、現れている内容はまぼろしかも知れないと疑えますが、そのまぼろしかもしれないものの出現は、ある、としか言えません。
「 視点(操縦席)」ということもあります。
「 認識装置 」
脳。脳内の物理的、電磁的、化学的認識機能。
「 観測の窓 」
物理的、電磁的、化学的信号によって情報を伝える神経系の働きのこと。
「 意識 」
脳みそ自身が、認識活動している、と自ら実感する「 自己認識 」現象のこと。
生命細胞で構成されている脳みその場合には「 意識 」が生成されている、と考えられます。
認識細胞や認識細胞群が活性化したとき、その変化(発熱、科学的変化、物理的変化、電気的変化など)を、変化と同時に自己認識(自己フィードバック)を受けて、感じ取る現象のこと。
例えば頭痛を感じている時、頭痛の素を起こしているのも認識細胞群だし、同時に頭痛を認識しているのも認識細胞群です。これが「 意識 」という現象です。
・・・<補足>
「 意識 」は脳みその外からは観測不可能です。
例えば、アナログな時間のなかで機能する増幅器の場合、その出力を外から観測して、出力を増幅前の源信号そのものが混ざりこんでいるのか、全部が増幅された信号なのか、それを分離する方法が成立しません。
しかし、脳みそ自身は、外部から「 観測の窓 」を通して入力される信号が何なのか認識しているため、自分の認識活動の内部でフィードバックしている「 意識 」のみを分離して(自己)認識することができるます。
科学者たちはこの「 意識 」これを観測しようと ── 不毛な ── 努力を続けています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0
「(図り知れない)混沌 」
理解できない、解りえない、意味不明、理解を超えている、という現象・状態のこと。
なにもかも( anything )が、あるであり同時にないであり、あるでないと同時にないでもない、といった「訳が分からない」概念。
ビッグバン宇宙(=「 秩序空間 」)の外部を支配している原則。
「(紛れもなく)ある 」
絶対的に「 ある 」ということ。上記の「 視点(操縦席)」は「(紛れもなく)ある 」です。
[ 読者 ]の「 意識 」と連動して「 秩序空間 」を覗いて唯一の視点です。
[ 読者 ]の認識の本であるこの視点を「(紛れもなく)ある 」としないと、何もかもが「(図り知れない)混沌 」ということになってしまいます。
議論を進めたければ、「 視点(操縦席)」だけは絶対的に「 ある 」にしなければなりません。
どこにあるのか ・・・ それは「(図り知れない)混沌 」の海の中でしょう。
「 ある、あった、あるハズ(と考えて辻褄が合う) 」
[ 読者 ]の脳みそという認識機能の操縦席に着座している「 視点 」が、ものごと状態の概念を認識している現象のこと。
[ 読者 ]の認識機能は、カラダの内部や外部からの情報を「 観測の窓 」を経由して認識し、さらに、また、記憶や、痕跡、先人の語る書物の内容などから想像を膨らませて、確からしいと認識しています。
五感を伴う、映画や夢、幻覚、虚像である可能性は否定できませんが「 辻褄があっている 」と納得している現象のこと。
仮に「 真 」だとしておいても不都合が生じていません。不都合を認識した折に見直せばよいのです。
「 曖昧 」
「 ある(と考えて辻褄が合う)」状態と「(図り知れない)混沌 」状態の間の状態。「 あった、ある、あるハズ(と考えて辻褄が合う)」は、実際はほとんど全て「 曖昧 」です。
正しくは、
「 曖昧にあった、曖昧にある、曖昧にあるハズ(と考えて辻褄が合う)」
大部分は「 曖昧 」な状態で、あると考えて辻褄が合うような気がする、のです。
・信憑性
・錯覚
・誤差
・波のような揺れ、とカスミのようなぼやけ
・認識能力の限界
などが常に伴っています。